掲載9 忘れられない患者さん
いままで忘れられない患者さんはたくさんいますが、前回お話した楊名時先生もそうです。楊先生は私の飲み仲間でしたが、気が合ってよく二人で飲みました。
あるとき、飲んでいる席で、「私は、生きるも死ぬもあるがままだ。帯津先生は私の主治医なんだから、私が病気になったらこれを貫いてくれ」と言われました。
ところが、あるがままを貫くということは医学的な介入をしないことですから、これは医師としては大変なことです。ご本人はもちろん、ご家族もいらっしゃる、それに門人が全国に何万人とおられるわけですから、これはストレスになっていました。
楊先生は、この「あるがまま」と、「死ぬときは帯津先生の病院で」、と常に言っておられました。これも、ストレスでした。でも、医学的介入をご本人が気づかないようにやりましたし、あるがままを貫き通しましたから、この先生の死は忘れられません。
それから、がんの治り方はめざましくなくていいと思います。ゆっくりゆっくりでいいと思います。でも、中にはめざましく治る患者さんもいらっしゃるんですが、そういう例を集めて共通項を求めてみてもなかなかみつかりません。
ところが、最近わかってきたことですが、いい場に身を置いた人はいい治り方をするんです。その「いい場」というのは、医療としての場の良さのことです。
いい主治医、いい薬剤師、いい看護師にめぐり合う。そして、その人たちが醸し出す一つの雰囲気の中に身を置いた、というのがいいのです。良い家庭の場にも身を置いた方がいいでしょう。職場の仲間もいい人がいた方がいいです。
いい場に身を置くことがいかに大事であるかということを、最近だんだん感じてきました。患者さんがこうしたことを自覚することは難しいですから、医療をする方がそういう場で患者さんを包み込んであげることが大切です。
いい場とは、患者さんと医師の1対1の関係からコミュニケーションになり、これがネットワークになって場になるわけですから、両者のコミュニケーションは大事です。コミュニケーションのできていない患者さんと主治医の関係というのが、いまはとても多いと思います。
がん治療については、薬品や機械材がいいものがどんどん出てくればいい、というものではなくて、コミュニケーションを育てていくだけで随分ちがってきます。がんについて、治療法はいっぱいあるということ。
エビデンスがあるものだけ求めるとわずかですが、エビデンスはちょっと乏しいものまで含めるといっぱいありますから、その辺まで可能性を求めることです。
何より、患者さんも当事者として医療の場だけでなく基本的な人間としてのいい場をつくることをやっていけば、自分にいい結果として返ってくると思います。