掲載8 生と死について
生と死については、まず死に対する教育が小学校でもできていないし、医療の中でもできていません。大学の医学部でも死についての講義はほとんどないのが現状です。死というものをしっかり見ないと、生はよくわかりません。
以前は、死というのは医師の仕事とは外れて考えられていました。治すのが仕事で、死は一種の敗北と言われ、宗教家の仕事だといわれていました。
医療から考えても、養生から考えても、死というものをたぐり寄せておくか視野の中に入れておかないと、生ははっきりわかりません。「あす死ぬとわかっても、するが養生」と五木寛之氏は私との対談の中で言っていますが、まさにその通りです。
死の世界まで考えた養生を考えていかなくてはいけないのです。死というのは、誰が何と言おうが必ず自分の前に来るものですから、考えないで生きていると直面したときに狼狽するわけです。
自分の死について折に触れて考えるということを、私はいつも患者さんに言いますし、職員にも言っています。これは、一番大事なことです。ホリスティック医学の最終は、生と死の統合であると、私はいつも言っています。生きながら生と死を統合する、これが理想だと思います。
実際に生と死を統合したと思える人が、私の患者さんの中にただ一人だけいます。太極拳の楊名時先生で、他には思い当たる人はいません。これからは、みんながこのように生と死を統合するようになっていかなくてはいけないと思います。
五木さんのように、明日に向かって希望を持って、死ぬとしても、死んでからに希望をつなぐ。そう思って死ぬのが一番いいのではないでしょうか。