掲載4 IQ84
こわい話
1Q84ではない。IQ84である。思い込み、うっかりミスは怖い。さて、怖い話はこの世に多い。四谷怪談、ホラー映画のリングや貞子など。しかしこれらはまったくの序の口である。
実際に怖いと言えば得体の知れない衝動殺人事件、自爆テロそれに大地震や津波などの自然災害、パンデミックや口蹄疫、さらに出口不明の沖縄迷走、経済界においてはリーマンショックからギリシャショックまで多々あろうが、そんなたやすいモノではない。医者の話は違う。もっと怖いのである。
「もの忘れしやすいと悩んでいるヒトは感じないヒトよりも認知症になりやすい」、という衝撃的な結末を出した論文がドイツから報告されたのである。2010年4月の事である。
これは、認知症にはまだなっていない同じレベルと診断された75歳以上の男女2415人を対象におこなった3年間の追跡調査の結果である。専門医と家庭医が共同で統計を取ってきちんとした医学統計に基づき出しているのである。図を見ていただこう。
どこが怖いかというと”少しもの忘れを感じる”という人たち(A群)は、“ほとんどもの忘れを感じない”でいる人(B群)よりも遙かに認知症になりやすい、と言うことであった。(A群(8.3%vs16.2%)vsB群4.3%)。
当たり前のような話であるが、やはりそうであったかと愕然として天を仰いでしまったのである。さらに興味あるのはその”もの忘れを心配している”人の方が”心配をしない人”に比べ3年後は2倍も本物の何らかのもの忘れになりやすいと言うことだ。
まず認知症は現代医学をもってしても治らない病気である。進行をゆっくりする事は塩酸ドネペジルという薬で何とか一時的に押さえることは出来るがやはり確実に一方的に低下する。
私の外来での経験でも既に“おかしい”と感じられた方へのこの薬の投与では社会的に復帰できると言うところまでには戻らない。せめて介護の方の精神的肉体的な解放に至ると言うところが関の山である。
“最近ヒトの名前が出てこない”、と言われるヒトは多い。このような方に対してこれまでは「心配ないですよ。ただの健忘症ですよ」、と答えていれば正解であったのが違ってくる。「ではどうしたらいいのでしょうか」という質問に対しての医師としての明確な答えが無い。これが怖い。
現在、220万人いるとされる認知症。日本の一年間の総死亡数は約100万人であるから、これらの220万人は着実にこのまま死ぬまで認知症として生きていかなければならない事を示している。
患者本人の医療費だけではない。家族における医療費以外の平均の経済損失は年間160万円に及ぶという。全国的に見れば3兆2000億円ものお金が無に帰している。これも怖い話である。
それに私自身も実際密かに感じている事であるが、なかなか人の名前が出てこないことがある。自分にも当てはまるからである。そしてそれを心配しているのである。これが怖い話なのである。
が、ただ一つホッとするのは、患者には「それは心配ない、本当に認知症なら忘れると言うことを忘れているから、忘れるということを覚えているのは大丈夫なせいだよ。あまり気にしない方がいいよ」と言っていたのは正しかったことになる。
論文によると気にする方がストレスからかより認知症を進行させてしまうことになるのである。
認知症と戦うな
やっぱり恐ろしいことには認知症となってからでは手遅れと言うことである。なぜなら既に白髪や禿頭になってしまってからでは対策が無いのと同様、神経細胞が萎縮してしまってからでは遅いのである。
ワクチンでもってアルツハイマー病の素になる老人斑のβアミロイドを溶解させようとする実験があった。10年前にヒトで行なわれたがことごとく失敗に終わっている。しかし今、認知症治療薬開発を巡る製薬会社の水面下での攻防は凄まじい。その研究を支持する医者や研究者がおり、確実に開発出来ると信じて疑わないからなを怖い。まさに楽天的ハト山症候群である。
新薬開発という美名の元にどれだけ多くのエネルギーが浪費されようとされるのであろうか。期待はずれの時がまた怖い。
確かにこれまで医学は結核、ペスト、天然痘、インフルエンザ、そしてエイズまで多くの病気と戦い、これらを封じ込めた成功体験がある。その延長上で“夢よ、もう一度”とこの認知症にも精力を注いでいるのであろう。しかしこれは果たして正解であろうか。やたら認知症の時期を長引かすだけではないだろうか。認知症と闘うなと言いたい。
認知症への未病的こころえ
そこで、もの忘れを云々言う前に、すなわち40歳を越えたらスパーと誰でも認知症予備軍であると思おう。これが未病的いさぎよい対処法である。そして気にせずに受け止め、せっせと運動を行いEPAやDHAに富んだ魚やβカロチン、ビタミンB,C,Eに富んだ緑黄色野菜をバランス良く食べ、朝は抹茶を夜は赤ワインを飲む生活習慣を始めようではないか。そして何よりも好奇心と情熱を忘れないことだ。