掲載3 ヨハンセンの気持ち
大発見は50年周期で訪れる
メンデルの法則というと中学校の理科の教科書を思い出す人は多いと思う。そう、丸いエンドウ豆としわしわのエンドウ豆の遺伝的な法則である。丸い豆としわしわの豆の交配では次に出来る豆はみんな丸い豆でしわしわの豆は出ない(優性の法則)。
この第一世代同士の豆をかけ合わせると次の世代の豆はしわしわと丸い豆の数の比は1:3に分かれる。そう分離の法則。さらに豆の色はこれらの丸やしわの形には関係なく黄色や緑色の豆がバラバラに独立して現れる。そう独立の法則である。
これは1865年にオーストリアの僧侶メンデルが教会の庭に豆を植え15年以上かけて丹念にその生え具合を観察した地道な記録である。ここで何が言いたいのかというと決してこの研究はメンデルにとっていいことはなかった。
周りからは変人とよばれ、学会から何の意味があるのか、つまらない研究だと言われ、生きている時には陽の目を見なかったのである。失意の内に亡くなったのである。
そしてなんとメンデルの死後35年経って、記録されたノートが発見された。そして1910年にデンマークの植物学者ヨハンセンの目に触れ、重要な研究であることが再発見されたのである。
この時のヨハンセンの感動はいかほどであったろうか。だからこそ今日私たちの教科書に載り遺伝学の基礎となっている。その50年後の1953年にはワトソンとクリックによりDNAが発見される。
さらに50年後の2003年にはヒトゲノムの全配列が解読されるにいたっている。往々にして大きな発見というものは時間がかかる。どうも遺伝子は50年周期を持っているらしい。
タイミングの運不運と大発見の関係
実はメンデルのような不遇の研究者の例は多い。日本では丸山ワクチンがそうであると筆者は考えている。丸山ワクチンの評価は今でも難しい。
メンデルと一緒で丸山博士が生きてられた時代には評価がさらに難しかった。どちらかというと迫害を受けた方と言えるかも知れない。その点、対極にあるのがノーベル賞受賞者である。
これはまさしくラッキーな人の賞と言えるであろう。少なくとも生きている内に評価され賞が貰える。しかし本当に独創的な研究とはその時代の人の知能を遙かに超えているものであり、その評価はすぐには定まらないのが本当ではなかろうか。死後数十年という時を隔てて分かる研究こそ真に偉大な研究といえると思う。
丸山ワクチンが初めて開発されたのは1944年であり、ガンに使用されたのは1964年である。当時はまだ免疫の概念すら定かでなく、当然T細胞やNK細胞を測る検査も無かった。(NK細胞が検査会社で測られるようになったのはつい最近の10年である。)マクロファージという細胞活性も測れなかった。
結核患者にはガンの合併者が少ないという臨床医の直感に近い気づきにより丸山ワクチンは生まれた。結核菌抽出物よりがんの免疫を賦活させる物質を精製させた。これが丸山ワクチンである。今から46年前のことである。発想が突出していたと言える。
さらに使用される患者は手の施し様の無くなった末期のぼろぼろの状態になった患者さんが殆どである。ここからが丸山ワクチンの登場となる。手かせ足かせをはめられた状態といって良い。
治療という状態への参加はあまりにも遅き導入であろう。このような状況下で丸山ワクチンの投与は続けられた。図を見ていただきたい。
胃がん非切除患者の予後を示した27年前に出されたデーターである。通常治療群(A群43名)と丸山ワクチン追加群(B群69名)との2年以上にわたる追跡調査の比較である。B群のほうが全ての時期においてA群より生存率が上回っているのが分かる。
はたしてこの結果をどう読むか。メンデルの法則を再発見したヨハンセンの気持ちに少し触れた気がしてくるではないか。