掲載4 ウィルス感染症の治療と予防:抗ウィルス薬、血清療法、免疫
ウィルスの存在が明らかになったのは、20世紀直前のことです。素焼き状態の陶器がウィルスを発見するのに重要な役割を果たしました。当時、素焼きの壁には微小な孔があいており、通常の細菌は通過できないとされていました。しかしながら、それよりも小さい生物の存在が推定されており、有名なパスツールをはじめとした多くの研究者たちにより濾過性微生物という表現で研究が進んでいきました。黄熱病の原因微生物の研究中に命を落とした野口英世もその一人でした。
タバコ栽培で、生産に重大な支障をきたす病気にタバコモザイク病があります。オランダ人のバイヤインクという農芸化学者が濾過性タバコモザイク微生物の存在を初めて証明しました。それは1898年のことで、彼が初めてウィルスということばを論文に使いました。その後、タバコモザイクウィルスはスタンレーによって結晶化までされます。この後に、ウィルスと細菌の中間の大きさのリケッチアやバクテリオファージが発見され、さらにこのファージ研究が遺伝子時代の幕開けに大きく貢献をすることになります。ちなみに現在では、濾過する物質は素焼きではなくコロジオン膜という化学物質を用いてウィルス学が研究されています。
ヒトの健康に重要なウィルス研究として天然痘ウィルス、黄熱病ウィルス、狂犬病ウィルス、ポリオウィルスがあり、それらに対してウィルス学的研究とワクチンの製造が発展してきました。肝炎については流行性肝炎のA型肝炎ウィルスと、輸血後肝炎(血清肝炎)のB型およびC型肝炎ウィルスが発見されてきました。また、エイズウィルスも大きく注目されました。エイズウィルスはもともと猿のウィルスSIV(Simian Immunodeficiency Virus)として注目されていましたが、変異してヒトに感染するようになりHIV(Human Immunodeficiency Virus)という名前になり国際的に注目されました。ウィルス感染にはほぼ厳密な種特異性があり、天然痘ウィルスについてはヒト型、サル型、豚型、ウシ型と変異種があります。種痘はどれを素材としたかでは、様々な憶測が記載されています。
一般的にはウシ型天然痘ウィルスが種痘の原材料だとされています。結局動物種の違う変異型天然痘ウィルスでも、ヒトに対し感染防御するワクチンであれば感染防御あるいは症状軽減に有効なわけです。完全抗体産生を起こす種痘であれば、天然痘感染を防御出来ます。ここでいう完全抗体とはウィルス抗原と結合し、自然免疫系の重要な補体の活性化の力でマクロファージによって貪食されて体内から排除するという抗体で、この抗原—抗体—補体(免疫複合物)の排除するしくみをオプソニン作用といいます。一方で、オプソニン作用が無い抗体が産生される可能性もあり、これは不完全抗体といいます。このことから、ワクチン製造では完全抗体産生になるか不完全抗体産生かは「やってみなければわからないという」偶然性があることがお分かりいただけると思います。ワクチンを製造するということは並大抵なことではないのです。
ウィルス研究の目的は、ワクチン開発研究といっても過言ではないでしょう。まずウィルスを純培養して、増やさなければなりません。これを達成するために生きた鶏卵を初めて使用したのは米国のグッドパスチャーです。この方法はウィルスワクチン産生に革命的な進歩をもたらしました。そして細胞培養をほぼ永続的に維持できる方法も確立されていきます。人体を使わずにウィルスを大量に増やして、非感染性ウィルス由来の非感染性抗原物質を動物あるいはヒトに投与して、特異性の高い完全抗体(主として免疫グロブリンのIgMとIgG、まれにIgA)を産生させるようなワクチン誘導の研究は、感染予防ならびに病状緩和を探るために必要であり、万人が渇望する干天の慈雨です。
この頃になると、病理解剖学の知見からウィルスは臓器特異性が存在することを人類は学びます。そして、急性のウィルス感染と慢性のウィルス感染があることもわかってきました。急性のウィルス感染は細胞障害性が強く、治るか絶命するかのどちらかです。たとえば、麻疹(はしか)は軽い病気とおもわれていますが、時に脳炎を起こします。重症麻疹治療の場合、血清療法として治癒したヒトの血清あるいは完全抗体のガンマグロブリン製剤として重症患者に投与します。血清療法は、はじめジフテリア治療のための抗毒素療法として開発され、開発者のベーリングと北里柴三郎の名前は残り、その原理は現在でも臨床応用されています。
一方で、慢性のウィルス感染は、人間の細胞内に寄生してしまいます。体の不調の際に寄生した細胞を破壊して発症する内在性ウィルスとして存在します。水痘ウィルス、ヘルペスウィルスなどがあります。また、感染症というよりも腫瘍ウィルスともいうべき一群もあります。たとえば子宮頚癌を引き起こすヒト乳頭腫ウィルス、悪性リンパ腫をおこすエプスタイン-バーウィルス、ヒト白血病/リンパ腫ウィルス、肝炎ウィルスなどのウィルスは、長い期間潜伏して腫瘍発生にかかわる可能性が指摘されています。ウィルス感染と各臓器でのあちこちで起こる微小な炎症反応の場では、浸潤するマクロファージと好中球が活性酸素を放出しウィルスを攻撃しますが、それと同時に自らの細胞のDNAを徐々に破壊して、10年以上の長い潜伏期の後にがんが発症するという事になります。
急性と慢性の違いは、自然免疫系と獲得免疫系のバランスによって左右されます。免疫細胞の抗原認識や抗体産生能はおおよそ35歳ごろがピークであろうという研究があります。ヒトにおいて年齢とともに衰える最も重要な臓器は骨髄です。上記のように幼児期にかかるウィルス感染は、多くの場合細胞内に潜伏してしまいます。免疫系は細胞内には手が出せません。水痘ウィルスは、大人になって過度のストレスや体調悪化により免疫バランスがこわれると、神経細胞内に内在しているウィルスが活発化し神経に沿って小水泡が並んで発症します。口唇ヘルペスなどは、試験直前の学生さんに再発するのもよくあることです。年齢と共にこうした再発の頻度が高まります。
最後に、感染症でもっとも怖い点について触れておきます。
ウィルス感染症が重症化すると、ヒトの過激な自衛システムが働くようです。これを「サイトカインストーム」あるいは「多臓器不全」という言葉でも表しています。血液中や末梢組織で、サイトカインは免疫細胞たちが綿密にコントロールしながら分泌しています。
時間とともに様々な免疫細胞がサイトカインを分泌しながら、敵に対応しています(免疫チェックポイント)。しかし、相手が強すぎると免疫細胞たちはコントロールが効かなくなり、サイトカインを過剰あるいはバランスの悪い分泌を行います。これを「サイトカインの嵐(サイトカインストーム)」と呼んでいます。COVID-19感染の治療薬として免疫抑制剤のデキサメサゾンが選択されたということは、このウィルスは大変厄介なウィルス感染なのだという事です。しかし、重症化は骨髄の萎縮の進んだ高齢者や基礎疾患のあるリスクのある人々に多くみられます。日常で、栄養やサプリメントなどで体力を補充して対応することは、「食‐医同源」としてどのような場合でも同じではないでしょうか。
文献:ウィルスの狩人(和訳)1964 Virus hunters by Greer Williams 1959 C E Tuttle Co Tokyo