見た目は薬剤だが、中身は全く別物。こうした偽薬を服用させることで身体に生じる変化をプラセボ(placebo)効果と呼ぶ。現在、プラセボは、医療現場において、患者の精神的ケアに、また、薬剤の治験の際などに利用されている。患者の精神状態をポジティブな方向へと導き、症状の改善を促進するプラセボ効果とは。
活性成分を含まない偽薬に被験者が反応
「薬を飲んで症状は良くなったが、後から聞いたら実は偽薬だった」などという話を耳にする。これが、プラセボ効果である。
プラセボという言葉はラテン語で「喜ばせる(I shall please)の意味。古代医学、また民間療法では、ミイラ薬、蜂の巣、クモの巣、蟻、その他骨や歯の粉末などが使われたといわれる。外見上では本物の薬 と区別のつかない、いわゆる偽薬で、現在ではシュガーピルなどが用いられている。
活性成分を含まない偽薬によるプラセボ効果を最初に報告したのはハーバード大学のH・K・Beecher博士。1955年に発表した報告書「The Powerful Placebo」では、20件以上の研究論文を分析し、被験者の平均32%にプラセボ効果がみられたと結論付けている。
治療への信頼と期待がある種の生化学反応を生む
プラセボ効果に関しては様々な説があるが、治療や医師に対する信頼感や薬が「効く」という期待感がベースにあるというのが大方の見方だ。コネチカット大 学研究者グループは抗うつ剤に関する臨床研究報告19件を分析しているが、治療効果の75%は症状改善への期待によるものと報告している。
治療への信頼と期待感が好ましい身体的変化をもたらすという。
1974年から1995年までの、抗うつ剤、心理セラピー、またその両方による治療を受けたうつ病患者研究39件を分析した調査では、治療効果の50%はプラセボ効果によるものと指摘している。
プラセボ効果については、前向きな思考が脳内化学物質に影響を与えるという説もある。脳内で化学的な変化が生じ、ホルモンや免疫システムなどの生体機能に影響するというのだ。大腸炎患者にプラセボを与えたところ、52%が改善したという報告もある。
医療従事者による励ましなどのコミュニケーションがプラセボに
プラセボ効果は、病気やケガが自然に治っていく、いわゆる「自然治癒」の過程であるという専門家もいる。人体には、病気やケガに対して、自然に治そうとするシステムがあり、プラセボ効果はその一端であるという。
また、治療の過程で起こる現象という説もある。治療現場では、医療従事者は患者に好意的に接し、症状改善のために様々な励ましを与える。そうした医療従事者による触診や介護、希望や励ましなどのコミュニケーションはエンドルフィン分泌のような生化学反応をもたらす。
40年ほど前、シアトルの若手心臓外科医が狭心症患者に対して行った試験では、血流を増大する通常の手術で、胸の切開を行ったものの吻合をスキップするプラセボ手術と比較したところ、プラセボ手術グループでも症状の改善が見られたという。
プラセボが脳内物質分泌の引き金に
長い間、プラセボ効果は試験によっては正確な結果を引き出す妨げになることから「邪魔者」扱いをされてきた。しかしながら、この数十年の間に、プラセボ 効果自体に医療従事者らの関心が集まり、研究対象として注目されるようになってきている。症状改善のために有効利用しようというのだ。
プラセボ効果は、症状を自覚した患者が病院を訪れる前から現れるという。つまり、症状自体に何の変化も無いが、治療を受けようと病院の予約を取った時点 で患者は少しばかり落ち着きを取り戻し、その時点でプラセボが働くという。そして、医師との面会、診断を受け、処方箋薬を受け取るという過程で、少しずつ治癒へと向かう。
こうした流れの中で、医師の態度、診療室の壁に掛かっている免許状や賞状の数々、充実した設備など視覚的要素が重要な役割を果たし、それらがさらにプラセボ効果を高めると専門家は主張する。また、医師によっては、過剰な検査や診断は無駄と考え、省く場合があるが、時間をかけた診断や話し合いは、プラセボ効果を上げる手助けになると考える専門家も多い。
また、最近の研究で、プラセボが脳内物質(エンドルフィン)分泌の引き金となることが指摘されている。ミシガン大学の研究者グループが、20代の被験 者14人に、痛みを引き出す注射を顎にし、その後で、プラセボ(食塩水)を与え、「痛みを抑える場合もあり、そうでないこともある」と告げた。結果、被験 者はいずれも、痛みが軽減したと答えた。研究者がPETで被験者の脳を調べたところ、痛み抑制物質のエンドルフィンが通常より多く分泌されていることが分 かった。
心筋梗塞患者の治療に関する研究で、投薬と同等の効果
では、医師は患者にプラセボを処方するのだろうか? これは倫理上の問題としてもよく挙げられる。治療薬と言ってプラセボを処方するのは患者を欺くことになる。かといってプラセボの効用も捨てがたい。今後、 こうした医師のジレンマの解決策としては、プラセボの有効性の検証を行い、症状改善の有効な手法としての位置付けを明確にしていくことであろう。
プラセボが症状改善の手出すけになることは、すでに多くの臨床の場で明らかになっている。
心筋梗塞患者2000人以上の治療に関する研究で、心筋梗塞を起こした後、プロプラノロール(ベータ遮断薬)を投薬遵守(指示を守ってきちんと飲んでい る)患者は、投薬遵守しない(処方箋の75%以下しか飲んでいない)患者に比べ死亡率が半分に低下したが、一方でプラセボグループでも、投薬遵守とそうで ない場合を比べて死亡率が半減するという、同じような効果が見られたという報告もある。
また、高血圧患者を対象にした研究で、7種類の治療薬の中にプラセボを入れ、被験者にはプラセボには活性成分が含まれないこと、作用については不明なこと、しかし、体の自然治癒力を刺激する可能性があること、さらに低コストで安全であることを説明した上で、治療を行った。
結果、血圧が正常値へ戻った割合は、他の6種類の治療薬では患者の42~59%の範囲、プラセボは25%を示したことが分かった。