前回に引き続き、東京都健康長寿医療センター研究所セミナー「健康長寿を目指すために知っておくべき性ホルモンの働きと最新研究」より、同センター老化機構研究チーム専門副部長の高山 賢一氏の講演内容をご紹介します。性ホルモンは、がん、認知症、骨粗しょう症などの発症と密接に関係しています。エストロゲンやアンドロゲンの受容体は、細胞膜を突き破り、細胞の核に作用することから「核内受容体」と呼ばれ、私達を形作るDNAを正常に働かせる上で、大きな役割を担っています。
DNAは生命の設計図 ― 性ホルモンがエピゲノムを促進
細胞は、細胞核とその周りの細胞質でできています。細胞核の中には、DNAが含まれており、そこで生命の様々な遺伝情報の読み取りが行われます。DNAは4種類の物質を構成単位とし、二重らせん構造を形成しています。DNAの配列として記録されている遺伝情報は、細胞核の中でメッセンジャーRNAという物質へと変換され、細胞質へと移動します。細胞質では、RNA上の情報が、グリシンやロイシンといったアミノ酸の配列へと変換され、タンパク質が合成されます。こうして作られる様々なタンパク質により、我々の生命を維持するための機能が担われているのです。まさに、DNAは生体を健康に維持するために、どのようなアミノ酸の組み合わせが最適か、それを指示する設計図なのです。
最近の研究では、DNAは閉じた状態と開いた状態があり、必ずしも均一でないことが分かってきました。DNAが閉じている状態では、DNAはヒストンと呼ばれるタンパク質にガッチリと巻き付いており、そこに記された遺伝情報を読み取ることはできません。遺伝子が活性化する際には、ヒストンタンパク質とDNAの結合が緩むことで、RNAを合成するタンパク質が物理的に近づきやすい状態となる必要があります。このようにDNAの状態を変化することにより遺伝情報の読み取りやすさを制御する仕組みをエピゲノムと呼び、エピゲノムを制御する因子を「エピゲノム因子」と言います。
エピゲノムは、老化やがんといった病気の原因となることが分かっており、非常に注目されています。前回述べましたエストロゲンやアンドロゲンなどの性ホルモンの受容体(核内受容体)は、まさにこのエピゲノムをコントロールすることがわかってきました。核内受容体は核内で標的となるDNA配列に結合すると、周囲にエピゲノム因子を呼び寄せる働きがあります。それにより標的となる遺伝子が活性化し、様々な効果を及ぼします。故に、性ホルモンのバランスを整えることは、エピゲノムをコントロールする上でも極めて重要なのです。
エストロゲンが骨粗しょう症、フレイルを予防
病気における核内受容体の働きについて具体的に見てみましょう。
骨粗しょう症は、なぜ起きるのでしょうか?骨は、骨を作る骨芽細胞と骨を溶かす破骨細胞によって形作られています。皆さんの骨の中では、古い骨細胞を破壊して、新しい骨を作るというサイクルが絶えず行われていますが、この時破骨細胞の働きが強くなりすぎると、骨粗しょう症へと向かいます。破骨細胞の働きを抑制する注射薬が既に開発されており、半年に1回程度注射することで骨粗しょう症を治療することができるため、現在は治療が大変やりやすくなりました。また性ホルモンであるエストロゲンの受容体は、骨芽細胞、破骨細胞のどちらにも存在しています。骨芽細胞では、その働きを活性化させ、骨細胞の分化を促します(=新しい骨を作る)。一方で、破骨細胞では、その細胞死を促すことが分かっています(=古い骨を壊す働きを抑える)。これに着目し、エストロゲンと同じような細胞活性をもたらす薬が開発されており、骨粗しょう症のバランスを正常に戻す治療に使用されています。
エストロゲンはフレイルの予防にも有効だという事が分かっています。昨年、世界で最も歴史のある科学雑誌「Nature」に、ラットのエストロゲン受容体が働かないように操作すると、ラットの運動意欲がなくなるという研究論文が掲載され、脳の中の視床下部における女性ホルモンの働きの重要性を示す研究成果として注目を集めました。視床下部においてエストロゲンは、エストロゲン受容体から「メラノコルチン受容体」という別の受容体を活性化させており、それを通して脳全体に指令を出して運動意欲を増幅していることがこの研究によって示されています。エストロゲンは、メラノコルチン受容体に作用することで、運動の活性化のほかにも、体重の減少(食事量はそのまま)、血糖・脂質の改善、骨量の増加などの効果をもたらすことが示唆されました。
性ホルモンの異常ががんを引き起こす
日本人の死因として、最も多いがん。女性であれば乳がん、男性であれば前立腺がんの発症例が多く見られます。
がんの発症には、性ホルモンが大きく関係しています。乳がんではエストロゲン受容体、前立腺がんではアンドロゲン受容体が、悪性腫瘍の増殖、発生を促しているのです。アンドロゲン受容体で活性化する代表的な遺伝子である「PSA(前立腺特異抗原)」は、前立腺がん検診等に利用されていますし、がん治療には、エストロゲン受容体やアンドロゲン受容体を遮断し、悪性腫瘍の増殖を抑えるホルモン療法が一般的になっています。
がん細胞には、PSFと呼ばれるタンパク質が存在しています。このPSFは特定のRNAと結合することで、アンドロゲン受容体やエストロゲン受容体の元となるRNAを制御でき、それぞれの受容体タンパク質の存在量を増加させます。がんはこれを利用することで、自らを悪性化させる遺伝子を活性化したり、薬剤が効かない環境を作り出したりするわけです。
私たちの研究チームでは、前立腺がん細胞におけるアンドロゲン受容体の標的遺伝子の解析を行い、CTBP1-ASというRNA分子を見出しました。このCTBP1-ASは、がん細胞のRNA 結合タンパク質 PSFと結合することで、エピゲノム因子を呼び寄せる働きがあり、がん細胞の増殖を促進することがわかりました。最近の研究では、腫瘍の増殖を抑えるために、PSFの活性を阻害するような化合物を網羅的に探索し、治療薬として将来性のある化合物候補を報告しています。