前章で述べました輸血という「血液細胞移植」の奥深い意味が、ガッテンしていただけますれば幸いです。赤血球だけを移植する「真の輸血」という意味や治療法の背景についても述べました。
自己識別の分子群は成熟分化した赤血球膜上には造られないようになり、かわりに血液型あるいは「くどい言い方で赤血球型」という多数の分子群が造られているのです。
とくにABO式血液型を決めている分子はオリゴ糖(9個の糖鎖)であり、細胞膜上のタンパク質や脂質と結合しています。これらの糖はブドウ糖と類似したいくつかの六炭糖で、その中でも特徴的なのはフコースという糖です。つまり、血液型とは抗原物質ということであり、このような糖鎖も抗原性を持っていることを意味します。
復習しますと、A型の血液型のヒトとはA型抗原のある赤血球を造り、自然抗体であるB型抗体(IgM)を産生するBリンパ球(形質細胞に分化する前の細胞)をもっているヒトということになります。
なぜこの自然抗体が造られているのかについて、調べているうちに一つの手掛かりを得ました。東京化学同人社から出版されている「免疫」-体を護る不思議なしくみ(矢田純一著)によりますと、この自然抗体は生まれたての赤ちゃんにはないそうです。
生後の環境で数週間後に、おそらく腸内細菌の細胞膜上にある糖鎖抗原の刺激により徐々に増加するというのです。しかしA型のヒトでA型抗体はなく、B型抗体だけが残存するしくみについては説明がありません。
おそらく産生されるA型抗体は赤血球のA型抗原によって吸収されて、血液中では検出できないのかもしれません。B型のヒトではB型抗体は吸収されてしまうのでしょう。この問題については宿題とさせてください。
一方、「白血球を輸血する」ということは「骨髄移植」と同じに重大なことになります。つまり単細胞系の「自己」と「非自己」のぶつかり合いとなるからです。この場合、「白血球を輸血する」ということは「臓器移植」と同じとはいえません。
この問題点には、生物系の重大な真実が潜んでいます。それは「単細胞系か多細胞系か」ということです。血液細胞は文字通り単細胞系で、個々の細胞が体中をめぐって行きます。「白血球を輸血する」ことは「単細胞系の骨髄細胞の移植」と同じこととなります。
一方、「臓器」は多細胞系です。各々の細胞は互いに接着し合い、一人勝手に動くことはありません。白血球とは別の系統関係になります。
臓器移植の際に留意する重要な点は、臓器内の血管ならびにリンパ管内の単細胞系の残存です。つまり白血球の存在を排除しなければなりません。輸血の場合では、輸血前に放射線照射することで白血球細胞の核内物質とくにDNA構造は破壊されてしまいます。
したがって輸血血液に混入する白血球は増殖することはできません。一方、臓器移植では、残存する白血球除去のために臓器に対して放射線を照射するわけにはいきません。
もし白血球(移植片=graft)が混入した場合、臓器(graft)を移植された宿主(host)の臓器ならびに白血球を攻撃することになりましょ う。臓器が生着するために、免疫抑制剤などで宿主を免疫低下状態にしなければなりません。免疫学的「イタチゴッコ」にならないように、残存する臓器内の単細胞系を除去することは大変重要な点といえるでしょう。
ドナーから取り出された臓器は移植前に大事な処理をする必要があります。すぐに移植するのでなければ、低温に保存しながら血管内にある血液成分を除去しなければなりません。例えば移植腎臓の場合には、腎動脈から臓器保存液を注入して、腎静脈から廃液することを十分に行うことになります。
動脈と静脈との間には網目状の無数の毛細血管があるわけで、そこから浸み出て組織の中にいる血液細胞は除去できないでしょう。しかし可及的にドナーの白血球は除去しなければなりません。
血小板は骨髄の中から出ることの出来ない骨髄巨核球の細胞質のかけらであり、このかけらでも自己物質を持っているわけで、除去の対象となります。実際の移植現場では、理想的にあろうとしても臨機応変の対応に明け暮れることでしょう。
骨髄移植の場合、術前に宿主の全身に放射線照射をします、丁度輸血前の血液に放射線照射することと同じように。つまり、患者の宿主白血球を完全に死滅させてしまおうとするのです。この状態の宿主とは、単細胞系の免疫学的な自己消失の状態といえるでしょう。
この状態のところへドナーの骨髄あるいは血液幹細胞(移植片=graft)を注入することになります。この状況は、いうならば「店子(タナゴ)が大家の家に乗り込んできて大家を乗っ取るの図」です。
ドナーの造血細胞が宿主の血液ならびに骨髄に生着するということは、HLAの異なる血液細胞が「宿主の血液細胞の座」を置き換えて居座るということにほかなりません。移植片であるドナー血液細胞たちは常に宿主の血液細胞以外のさまざまな臓器細胞たちを非自己と感じて戦いを挑むような状況です(GVHR=移植片対宿主反応)。
ドナーの骨髄幹細胞が移植されるわけですから、宿主血液細胞は文字通り「自己明け渡し状態」です。ですから血液型もドナーのものに変わることはあたりまえです。つまり、もともとA型の血液型のヒトがO型のドナーを受け入れるというと、O型に変わることもありうるのです。
赤ちゃん誕生はおめでたいことでしょう。しかし、最近の日本では赤ちゃん受難のニュースが後を絶ちません。いずれにしましても妊娠という医学生物現象は自己と非自己関係を考える上で大変重要です。受精現象は男女の生殖細胞の合体ですから他人同士の遺伝情報から一個の個体が出来上がることになります。
つまり、約10ヶ月の間に母親の胎内では「半自己」の赤ちゃんが成長して行くわけです。自己を決定する遺伝子座(HLAあるいはMHC=主要組織適合抗原複合体遺伝子群)は第6番目の染色体上に存在します。
この遺伝子に規定されるタンパク質群は個人識別の指紋のようなもので、「大変多く、あるいはほぼ無限の多様性」から成り立っています。細かすぎる説明を省略しながら、ガッテンしていただけるように説明していきますので、「ネバーギブアップ」でお願いいたします。
いわば半自己抗原分子から成り立っている赤ちゃんに対して、母体は明らかに免疫反応を起します。赤ちゃんの免疫システムは「自己非自己の認識」が未熟ですから、とりあえず母体からの赤ちゃんへの攻撃を考えて見ましょう。
例えば何人もの夫との間にもうけた子沢山のお母さんの免疫系にはそれぞれの半自己に対する微量な抗体産生を起すような液性免疫系の働きがあり、HLAの微妙な違いに対する抗体が産生されています。T細胞とマクロファージ系の細胞性免疫系反応も起こっているはずです。
胎児と母体との境界である胎盤と絨毛系は「紙一枚ほど」のきわめて薄くユニークなバリアです。このようなバリアがあっても、母体は妊娠した半自己に対する免疫学的記憶があり、何人もの半自己に対するHLA抗体を産生するようになります。
フランスのドーセらの地道な研究により個人識別のHLA血清学的検査が可能となりました。HLAはタンパク抗原系ですから、タンパク質の多様性に対応して遺伝子的多様性が発見されました。このことは、個人識別を厳密に確認することが出来るようになり、移植医療でのHLAのマッチング検査につながりました。
地球上には現在70億人以上のヒトが存在するといわれています。これはHLAが70億種類以上存在するということになります。故に、過去、現在、未来を通して、全く同一のHLA個人がいないのだろうかという疑問を抱いても不思議ではなく、この問いに対して是非が論じられてもおかしくないでしょう。
ところで、HLAのマッチングが理想的なのは一卵性双生児同士の移植です。通常1個の受精卵が分割をくりかえして一つの個体になるはずが、この場合、一回目の二分割した後に、二個の細胞がそれぞれ分割をくりかえして二つの個体になるわけです。ですから瓜二つになるわけです。しかし、両者といえどもHLA抗原分子複合体のマイナー部分ではちがいがあるはずです。
一方、二卵性双生児とは、二つの卵子が排卵された時に二個の精子が各々に受精することになります。これらの四個の生殖子たちは各々多様性を持ったもの同士です。ですから双生児といいますが、兄弟姉妹あるいはそれ以上の違いが生じる他人同士といってもおかしくありません。
以上より、自己と非自己の物質的なちがいは一体何だろうという疑問につながるはずです。細胞レベルでのちがいは数個のアミノ酸、糖鎖あるいは脂肪酸、またはそれらの結合体と推察できます。これらは「抗原断片あるいはエピトープ」とよばれています。マクロファージ、Tリンパ球あるいはBリンパ球の多様性の情報伝達はこの程度の違いの認識からおこる免疫現象です。
こうした個人識別のちがいの上に自己非自己という免疫現象の基本が明らかにされてきました。これらの免疫系の進化、発達が妊娠初期から成長後の10ヶ月での分娩、そして生後の発達をへて成人免疫系としての自然免疫系と獲得免疫系の成立につながるのです。これはまさにヘッケルのいう「個体発生は系統発生をくりかえす」ことにあてはまるでしょう。
さて、「森と樹」の関係でいいますと、随分「こまかな樹」の話になったようです。しかしこれを「森」につなげるとどうなるかといいますと、「自己と非自己識別」という生体防御の基本戦略といえるはずです。つまり「自己非自己識別」とは生物学的個性(ボデイ)を理解することであり、この理解はチマタで氾濫する「マインドの個性理解」と対等であるはずです。
また長くなってきましたので次回に説明を続けてまいります。次回では「妊娠とABO式血液型不適合」「妊娠とRh式血液型不適合」「妊娠と代理母」の問題をとりあげます。
文献:
・免疫-からだを護る不思議なしくみ 第4版 矢田純一 東京化学同人 2010
・免疫学-巧妙なしくみを解き明かす- Peter Wood著 山本一夫訳 東京化学同人 2010
東京脳神経センター(病理/内科)
遠藤 雄三(えんどう ゆうぞう)氏
昭和44年(1969年)東京大学医学部卒。虎の門病院にて免疫検査部創設・部長、病理/細菌検査部長を務める。その後カナダ マクマスター大学健康科学部病理・分子医学部門客員教授、浜松医科大学第一病理非常勤講師、宮崎県都城市医療法人八日会病理顧問・看護学校顧問を経て、現在、東京脳神経センター(病理/内科)。免疫学・病理学・分子医学の立場からがん・炎症の研究を進め、発表した論文は110報以上。
<主な研究課題> 生活習慣病予防にかかわる食物、サプリメント、生活習慣病と公衆衛生、IgA腎症と粘膜免疫とのかかわり、頭痛と首コリの解消、人体病理学、臨床免疫学、実験病理学
・掲載4 「ホモ バネ仕掛け」の頚と「新型うつ」
・掲載3 首の構造と頭痛=頭皮痛のおこりかた
・掲載2 体験/炎症とは
・掲載1 はじめに
・掲載6 感染症予防には手洗い、うがい、そして免疫をケアしよう
・掲載5 細菌感染と抗生物質:抗ウィルス薬は細菌には効かない
・掲載4 ウィルス感染症の治療と予防:抗ウィルス薬、血清療法、免疫
・掲載3 風邪、天然痘とSARS、MERSそして変異型コロナウィルス
・掲載1 ウィルス感染と免疫システム
・掲載22 自己とは?非自己とは?(22)過敏性腸症候群/食物アレルギー
・掲載21 自己とは?非自己とは?(21) 大腸と腸内細菌
・掲載20 自己とは?非自己とは?(20) Bリンパ球/IgA
・掲載19 自己とは?非自己とは?(19) パイエル板
・掲載18 自己とは?非自己とは?(18) 消化管の蠕動(ぜんどう)運動
・掲載17 自己とは?非自己とは?(17)粘膜免疫
・掲載16 自己とは?非自己とは?(16)腸管免疫
・掲載15 自己とは?非自己とは?(15)免疫と消化管
・掲載14 自己とは?非自己とは?(14)ウィルスと自己
・掲載13 自己とは?非自己とは?(13)妊娠とABO式血液型不適合
・掲載12 自己とは?非自己とは?(12)移植
・掲載11 自己とは?非自己とは?(11)輸血と免疫
・掲載10 自己とは?非自己とは?(10)Ⅲ型アレルギー/自己免疫疾患
・掲載9 自己とは?非自己とは?(9)Ⅱ型アレルギー/血液型
・掲載8 自己とは?非自己とは?(8)抗生物質の発見/一型アレルギー/免疫グロブリン
・掲載5 自己とは?非自己とは?(5)急性炎症:日焼けと免疫反応
・掲載4 自己とは?非自己とは?(4)炎症
・掲載3 自己とは?非自己とは?(3)アレルギー
・掲載2 自己とは?非自己とは?(2)自己の確立②
・掲載1 自己とは?非自己とは?(1)自己の確立①
・掲載6 からだの防御システム(6)特異的免疫細胞たち:リンパ球
・掲載4 からだの防御システム(4)免疫ホメオスタシス/感染症と炎症
・掲載3 からだの防御システム(3)「食-医同源」
・掲載2 からだの防御システム(2)新型インフルエンザウィルス
・掲載1 からだの防御システム(1)はじめに:「病気」、「病態」そして「病 名」
・掲載21 頭頚部がん(2)
・掲載20 頭頚部がん(1)
・掲載19 多発性骨髄腫(3)
・掲載18 多発性骨髄腫(2)
・掲載17 多発性骨髄腫(1)
・掲載16 おとなの進行がんの治療戦略(2)
・掲載15 おとなの進行がんの治療戦略(1)
・掲載14 子宮がん(2)子宮内膜がん
・掲載13 子宮がん(1)
・掲載12 肝細胞がんに対する予防戦略 3)ウイルス排除と抗炎症対策
・掲載11 肝細胞がんに対する予防戦略 2)肝硬変と慢性炎症
・掲載10 肝細胞がんに対する予防戦略 1)肝細胞がんのおこり方
・掲載9 前立腺がんに対する戦略
・掲載8 乳がんに対する戦略
・掲載7 肺がんの予防戦略
・掲載6 環境要因による胃がん予防
・掲載5 大腸がんに対する防衛戦略
・掲載4 生活習慣病としてのおとなのがん
・掲載3 抗生物質から抗がん剤開発へ
・掲載2 現代医学と病理学
・掲載1 はじめに