輸血は現代医療に欠かせない治療手段であることは申すまでもありません。国際赤十字や血液銀行の名で知られており、最も普及した現代医療の一つであることに異論はないでしょう。我々の身近にあって日々恩恵を与えてくれているといっても過言ではありません。
たとえばストレスによる消化性潰瘍の典型的な十二指腸潰瘍からの出血性ショック、その際緊急輸血で一命を取り留めることもあるでしょう。それでも普段は輸血というとまるで空気のように当たり前で無視しがちな存在でもあります。しかし一方では、輸血血液や血液製剤による汚染事故という側面で怖い存在でもありましょう。
輸血とは正確にいいますとレッキとした赤血球細胞移植であるのに、改まってこのようにいうとなぜ奇妙に聞こえるのでしょうか。これは「自己とは?非自己とは?」の秘密に根ざしています。
そこで、今回は輸血を移植という観点からもう一度おさらいしてみたいと思います。すなわち、「炎症と免疫」という観点で見ますと、既に述べたとおり血液型不適合によるII型アレルギー、いいかえますと致命的な全身的な細胞障害性アレルギーとしてとらえることができるということです。
ABO式血液型はどうして存在するのでしょうか。そして不適合輸血とは一体どうして起こるのでしょうか。どうして拒絶反応とは呼ばないのでしょうか。いずれにしても現代では、これは起こってはならないことです。
ここではまず当たり前のような輸血医療が一触即発の医療過誤と背中合わせであり、それに向き合いながら努力を惜しまない医療チームの仲間たちのたゆまぬ努力についてなにがしか感じ取っていただきたいのです。
輸血治療は問題がなくて当たり前であり、「今時の”はやり病い”のようになったテレビでの”頭下げ会見”」は通用しません。輸血現場での失敗は「腹カッサバキ」、つまり切腹と同等の罪なのです。
以前の病院におりましたとき、隣人の輸血部長から常に発せられる激しい口調を今も想い出します。別の言い方をしますと、輸血医療は日頃の大変な熟練さと細心の注意が最も要求される現場でもあります。
輸血された患者さんは入院していただいて、約一日中医療チームによってモニターされることになります。何か少しでも変化のある時は、医療チームが駆けつけることになります。
輸血は長い人類史における努力と悲惨な失敗の積み重ねの上に成り立っているという深い意味があります。
19世紀から20世紀にかけて血液学がまさに医学の本流であり、血液型抗原と抗体発見の進歩は血液血清学を展開させ、その後さまざまな分野へと発展したといっても過言ではありません。
その抗原抗体反応という研究成果のひとつとしてジフテリア毒素に対する抗毒素血清療法であり、さまざまなワクチン治療は免疫学の臨床応用の典型です。
かなり前の章で触れましたABO式血液型の発見であるウィーン大学のランドシュタイナーらの発表以降、輸血治療という大変な医療の進歩をもたらしました。その過程の中で、Rh式血液型の存在も発見されてきました。
そしていわゆるヒト白血球抗原(human leukocyte antigen=HLA)という臓器移植と密接にかかわる「自己と非自己」=主要組織適合抗原複合体(MHC)の理解へと深まっていくわけです。
このような医学の展開の中で、二度の世界大戦はその発展を強力に推進させたといっても過言ではありません。特に輸血治療は戦傷には特効的だったことはいうまでもありません。一方で、中国戦線での731部隊の忌まわしい事件とも関連しましょう。
赤血球についてのいくつかの問題点あるいは疑問点からお話しましょう。その一つは、赤血球を除いた白血球をはじめとするすべての細胞表面には自己にかかわる物質(MHC=ヒトではHLA)が存在しているのはなぜかという点です。
逆にいいますと、赤血球はどうして随分おかしな細胞なのかとなります。つまり赤血球細胞表面には自己物質が消滅しており、あたかもHLAという毛髪がはげ頭のように抜け落ちたかのようであります。一方で、赤血球にはABO式、Rh式など約400種類以上もの多くのまれな血液型物質が発見されています。
第二の疑問点は、ABO式血液型物質に対して、どうして「裏の抗体」が存在するのかという点です。この存在によってランドシュタイナーたちの実験結果としてABO式血液型の発見となったともいえます。
この抗体は生まれつきそのヒトに存在する抗体なので自然抗体と呼ばれて、重要な研究課題でもあります。1950年代から1960年代に大活躍された免疫学者のバーネット教授の著書「免疫理論」による説明をしましょう。
A型のヒトにはB型の抗体が生まれつき備わっていてB型のヒトにはA型の抗体が生まれつき備わっているというのです。各々の血液型である赤血球抗原と自然抗体の一致しない個体のみが胎児期を生き延びて生まれてきているからだというのです。
つまり、A型のヒトにA型の抗体が存在していたら、抗原抗体反応を起して死んでしまうでしょう。B型のヒトにB型の抗体が存在したら、同様に死んでしまうでしょう。両方の抗体を産生出来る免疫系が発達していく過程で、A型のヒトではA型抗体産生細胞は消滅したことで寛容状態となり、B型抗体産生細胞だけが残ったわけです。
一方、B型のヒトではB型抗体産生細胞は消滅して寛容状態となり、A型抗体産生細胞が残ったわけです。AB型のヒトは両者の抗体がないこと(寛容)で生まれて来れるわけです。O型のヒトはA型とB型の血液型抗原のないヒトですから、両者の抗体を造れる個体として生まれて来るというのです。
実際の現象とこの解釈は、バーネット教授のヒトにおける生まれた後の(後天的な)免疫反応(獲得免疫系)をとらえるクローン選択説としてまとめられました。このクローン選択説はノーベル賞に価しました。この仮説はその後の免疫学の方向性を決定したという点で、大変優れて包括的です。
ちなみに、その延長線上にある現在では、生まれつきの免疫系(自然免疫系)の解明が進んできている現状であります。下等動物からヒトまで存在する生体防御系として自然免疫系が存在しています。
そのカギになる重要な細胞がマクロファージ=樹状細胞系であります。昨年度のノーベル賞はこの問題に関する3人の研究者だったことは記憶に新しいです。とくにロックフェラー大学の故ラルフ・スタインマン教授は研究内容と受賞時死亡していたという点で記憶されます。
自然免疫系におけるある一定の抗原物質に対する受容体toll-like-receptor(TLR)による情報伝達と免疫系の活動の全貌が近い将来に解明されることでしょう。
さて、最も重要な点についてお話しなければなりません。輸血の際に行う二つの重要なことです。一つは既に述べました血液型に関するもので、交差適合試験を行って不適合ではないことを確認します。クロスマッチ試験ともいいます。
これは赤血球型抗原と血漿中の抗体との反応です。輸血を受ける患者さんの血液を固まらないようにして血球分画と血漿分画に分離します。ドナーの血液もそのように分けます。そして「表と裏」の「タスキ掛け」のように凝集反応させます。通常では赤血球は赤い細かい点状物として浮遊しております。
抗原であるA型赤血球抗原とA型抗体が一致しますと、点状の液体状態にぶつぶつの凝集物が生じて目で見てもはっきり沈殿します。もし一致しなければ、凝集反応が起こりません。A型の患者さんの血液とA型のドナー血では凝集反応は起こりませんので、輸血OKとなります。
もう一つは、輸血前に血液の入ったパックを放射線照射しなければなりません。輸血血液は全血ですので、赤血球の数の約1/1000の割合で白血球が混入しています。その中でもリンパ球とマクロファージになる単球が重要です。
これらの細胞が生きていて混入しますと、輸血した後で患者の体内で患者の細胞たちを攻撃することになります。これにかかわる重要な抗原がまさに「自己と非自己」の関係なのです。前述しました白血球抗原HLAです。
これはあくまでも「赤血球以外の細胞表面の自己抗原」というわけです。この患者さんの体内でおこっている出来事は、「移植片対宿主反応」(GVHR)というむずかしい表現になります。つまりは、輸血した血液を「移植片」であり、患者さんは「宿主」というわけです。
いいかえますと、借主が大家さんを攻撃してしまうというものです。細胞分裂できる細胞はすべて殺傷しておかないとGVHRの病気(D)がおきてしまいます。また長くなってしまいました。ABO型血液型のほかにRh式血液型は不妊ならびに新生児溶血性黄疸大変重要ですので、次回にお話しましょう。
<文献>
・ウィントローブ著 柴田 昭監訳:血液学の源流. I,II. 西村書店 1982
・Robinson J, et al: HLA-DR, HLA-ABC and glycophorin in erythroid differentiation. Nature, 1981, 289(5793):68-71.
・Menier C, et al: Blood, 2004, 104(10):3153-60.
東京脳神経センター(病理/内科)
遠藤 雄三(えんどう ゆうぞう)氏
昭和44年(1969年)東京大学医学部卒。虎の門病院にて免疫検査部創設・部長、病理/細菌検査部長を務める。その後カナダ マクマスター大学健康科学部病理・分子医学部門客員教授、浜松医科大学第一病理非常勤講師、宮崎県都城市医療法人八日会病理顧問・看護学校顧問を経て、現在、東京脳神経センター(病理/内科)。免疫学・病理学・分子医学の立場からがん・炎症の研究を進め、発表した論文は110報以上。
<主な研究課題> 生活習慣病予防にかかわる食物、サプリメント、生活習慣病と公衆衛生、IgA腎症と粘膜免疫とのかかわり、頭痛と首コリの解消、人体病理学、臨床免疫学、実験病理学
・掲載4 「ホモ バネ仕掛け」の頚と「新型うつ」
・掲載3 首の構造と頭痛=頭皮痛のおこりかた
・掲載2 体験/炎症とは
・掲載1 はじめに
・掲載6 感染症予防には手洗い、うがい、そして免疫をケアしよう
・掲載5 細菌感染と抗生物質:抗ウィルス薬は細菌には効かない
・掲載4 ウィルス感染症の治療と予防:抗ウィルス薬、血清療法、免疫
・掲載3 風邪、天然痘とSARS、MERSそして変異型コロナウィルス
・掲載1 ウィルス感染と免疫システム
・掲載22 自己とは?非自己とは?(22)過敏性腸症候群/食物アレルギー
・掲載21 自己とは?非自己とは?(21) 大腸と腸内細菌
・掲載20 自己とは?非自己とは?(20) Bリンパ球/IgA
・掲載19 自己とは?非自己とは?(19) パイエル板
・掲載18 自己とは?非自己とは?(18) 消化管の蠕動(ぜんどう)運動
・掲載17 自己とは?非自己とは?(17)粘膜免疫
・掲載16 自己とは?非自己とは?(16)腸管免疫
・掲載15 自己とは?非自己とは?(15)免疫と消化管
・掲載14 自己とは?非自己とは?(14)ウィルスと自己
・掲載13 自己とは?非自己とは?(13)妊娠とABO式血液型不適合
・掲載12 自己とは?非自己とは?(12)移植
・掲載11 自己とは?非自己とは?(11)輸血と免疫
・掲載10 自己とは?非自己とは?(10)Ⅲ型アレルギー/自己免疫疾患
・掲載9 自己とは?非自己とは?(9)Ⅱ型アレルギー/血液型
・掲載8 自己とは?非自己とは?(8)抗生物質の発見/一型アレルギー/免疫グロブリン
・掲載5 自己とは?非自己とは?(5)急性炎症:日焼けと免疫反応
・掲載4 自己とは?非自己とは?(4)炎症
・掲載3 自己とは?非自己とは?(3)アレルギー
・掲載2 自己とは?非自己とは?(2)自己の確立②
・掲載1 自己とは?非自己とは?(1)自己の確立①
・掲載6 からだの防御システム(6)特異的免疫細胞たち:リンパ球
・掲載4 からだの防御システム(4)免疫ホメオスタシス/感染症と炎症
・掲載3 からだの防御システム(3)「食-医同源」
・掲載2 からだの防御システム(2)新型インフルエンザウィルス
・掲載1 からだの防御システム(1)はじめに:「病気」、「病態」そして「病 名」
・掲載21 頭頚部がん(2)
・掲載20 頭頚部がん(1)
・掲載19 多発性骨髄腫(3)
・掲載18 多発性骨髄腫(2)
・掲載17 多発性骨髄腫(1)
・掲載16 おとなの進行がんの治療戦略(2)
・掲載15 おとなの進行がんの治療戦略(1)
・掲載14 子宮がん(2)子宮内膜がん
・掲載13 子宮がん(1)
・掲載12 肝細胞がんに対する予防戦略 3)ウイルス排除と抗炎症対策
・掲載11 肝細胞がんに対する予防戦略 2)肝硬変と慢性炎症
・掲載10 肝細胞がんに対する予防戦略 1)肝細胞がんのおこり方
・掲載9 前立腺がんに対する戦略
・掲載8 乳がんに対する戦略
・掲載7 肺がんの予防戦略
・掲載6 環境要因による胃がん予防
・掲載5 大腸がんに対する防衛戦略
・掲載4 生活習慣病としてのおとなのがん
・掲載3 抗生物質から抗がん剤開発へ
・掲載2 現代医学と病理学
・掲載1 はじめに