年間に発生する子宮がんの新たな患者総数は横ばい状態です。前回触れました子宮頚部がんは減少傾向であり、子宮内膜がんは増加傾向にあります。この傾向は先進国に共通したもので、その原因についてほぼ予測することができます。
子宮頚部がんの減少傾向はすでに前回述べました。衛生知識や性に関する教育の普及はその大きな要因です。ウィルス感染と局所の慢性炎症が大きな要因であることは説明しました。
一方、子宮内膜がんの発生には女性ホルモンの影響を強く受けることがわかっています。それは食べ物の内容や社会文化環境の影響が大変大きくかかわります。
子宮の形やからだの中の位置については前回にくわしく述べましたので、ご参照ください。子宮のはたらきのおおよそについては女性ならば理解されているとおもいますが、医学的ならびにホルモン作用の面から少し解説しましょう。
子宮全体は平滑筋という厚い筋肉の壁でできています。そしてその内側は子宮内膜というクッションのようなやわらかい組織でおおわれています。受精卵はこのようなふんわりとした組織の中にうずまるように着床します。
子宮内膜や厚い筋肉の壁の状態は卵巣からの二種類のホルモンによって強く影響されています。それらはエストロゲンとプロゲステロンという名前の二種類のホルモンです。
これら二種類のホルモンの交互作用をうけて、子宮内膜は月ごとに周期的な変化をしています。この周期は子供をさずかる準備ということになります。
もし受精卵がない場合には、子宮内膜はその役割を終えて脱落し、それが月経(いわゆる生理)となります。月経があると子宮内膜の細胞はふたたびエストロゲンという女性ホルモンによって増えていきます。
エストロゲンというホルモンは細胞を増やす作用がありますが、場合によってがんの危険な因子となります。約二週間ののちに、卵巣からプロゲステロンの分泌が加わり、子宮内膜に潤いと厚みを与えるようになります。
おどろくべきことに、この卵巣の働きは脳の深い部分にある視床下部とその下位の脳下垂体からの指令によって調節されています。この視床下部は卵巣から分泌された血中ホルモン量と感情などの脳のはたらきから強い影響を受けています。
この子宮内膜の調整をする卵巣と視床下部-脳下垂体システムをフィードバック(環状調節)システムといいます。イメージとしてはオーストラリア原住民の使うブーメランでしょうか。自分の投げたものが自分にもどってきて調節されるという仕組みです。話がそれましたので、元にもどしましょう。
子宮内膜は上記のようにホルモンによって規則正しく調整されているのですが、それは細胞一般の性質を端的に示しているといえるでしょう。つまり、細胞の二つの特性である増殖(細胞が増える)と分化(成熟してはたらく)です。
エストロゲンは細胞増殖作用が強く、プロゲステロンは増殖した細胞の維持や分泌作用を示します。ですから子宮内膜はつねに細胞が増えるような環境にあるわけですから、がんにならない方がかえっておかしいくらいなのです。
性ホルモン環境は食物や社会文化環境によって著しく影響を受けることが分かっています。肉食、乳製品、脂肪の豊富な食べ物などの欧米型の食事や早熟した性環境などは思春期の青年や生殖年齢の女性に強く影響します。それが子宮内膜がんの発生に深くかかわっています。
一般的には子宮内膜がんの早期発見は、婦人科検診でおこなわれる膣、子宮内膜細胞診という比較的簡便な方法でがんのスクリーニングによります。しかし女性にとって抵抗感のある検査であることにはかわりありません。細胞のよしあしは光学顕微鏡で熟練した検査技師と病理専門医によって診断されます。
子宮内膜がんでは、帯下の増加などの自覚症状があり、早期発見の機会が多い傾向です。またがんの広がり方は比較的に遅く、手術による根治の可能性も高いですから、検査のきっかけづくりが大切となります。
すこしでもおかしいところがありましたら、恥かしがらずにレデイーズクリニックで検診を受けるようにしましょう。細胞診でおかしい細胞(異型細胞)が見つけられますと、子宮内膜の一部を取って調べる精密検査を受けることをおすすめします。
これは子宮内膜生検というもので、病理組織診断検査といいます。この報告書は公文書であり、ご自分でそのコピーを保存しておくことをおすすめします。これはご自身の健康の履歴書ですから、コピーをいただく義務があるわけです。
子宮内膜がんは月経不順や月経過多などの婦人科的な症状が現れることがあります。閉経期前後のさまざまな不調がありましたら、一度細胞診検査をしておくことは転ばぬ先の杖となりましょう。
ところで、がんではないのですが、子宮内膜症というやっかいな病気があります。これはがんではありませんが、長い間悩むことになります。最近、子宮内膜症で苦しむ人々が増加しつつあります。
これは子宮内膜組織が、子宮内膜以外の場所に島状に広がっていきつづけてしまうものです。子宮の筋肉内に広がるものは腺筋症といい、それ以外の場所に広がっているものは子宮内膜症とよばれているものです。
これらは子宮内膜組織が生理的な子宮内膜と同様に月経周期に一致してホルモン作用の影響を受けます。そのために島状の子宮内膜の部分で月経状態が起きてしまいます。これによって、下腹部痛、骨盤内の重苦しさ、貧血などのつらい症状がくりかえして長く続いていきます。残念ながら特効薬がないのが、現状です。
子宮内膜がんならびに子宮内膜症は昔からあった病気ですが、日本をはじめ先進国では最近になって目立って増えてきています。食べ物や社会文化環境の変化がおよぼす影響ははかり知れないことが予測されますが、科学的な証拠はいまだ明らかにされてはいません。それよりもなによりも、予防できる手段を探す必要がありましょう。女性ホルモンの関与はすぐに気づくことです。
更年期障害の対策として、ホルモン補充療法というものが米国を中心にして普及しております。閉経とは卵巣機能がはたらきをやめたためにおこる生理的な現象です。生殖年齢は終わったという意味で、女性としての基本的役割が済みましたという生物学的な現象です。
かっての人生50年という時代から、それ以降の余裕のある生活のできる人生90歳時代をむかえる現状では閉経後も女性らしくありたいものです。ホルモン補充療法はその様な時代的な要請から生み出された医療のひとつと考えられます。
しかし、長期間のホルモン補充療法によって、子宮内膜がんの危険性が高くなっていることがわかってきました。また血栓症をひきおこす危険性、心筋梗塞や狭心症といった急性虚血性心疾患の危険性が高くなることもわかってきました。現在、米国ではホルモン補充療法の意義が見直されています。
子宮内膜がんは決して頻度の高いがんではありません。また進行は速いものではありません。悪性度は良性に近いものから悪性までさまざまです。いずれにしましても、早期発見と早期治療が正攻法であることには違いありませんので、是非婦人科的な検診のきっかけを自分なりに計画することが必要です。
50歳代では数年に一回は予定されてみてはいかがでしょうか。とくに異常がないようでしたら、5年くらいに一度でほぼ大丈夫でしょう。しかし適切な医療機関を選ぶことは大切なことです。これは婦人科的な医療程度も重要ですが、病院の医療の水準は病理検査と診断の質の高さにかかわっています。病理専門医が常勤されていることが望ましい体制です。
こうした医療水準について、一般の人々にはなかなかわかりにくいことです。しかし最近では医療機関がおのおのホームページで医療体制を示しておりますので、それを十分に参考にされて医療機関を選ぶことはより大切なことです。
このシリーズは2年近い時間がかかりながらいよいよ完成に近づいてきました。あとは数回を残すだけです。このシリーズはがんについて網羅的の述べることが目的ではなく、一人ひとりのがん戦略の対策にどれだけ助言できるかという考えで進めてきました。
特になりやすい傾向のあるがんを選んだのはそのためです。あなたまかせにしない医療、薬になるべく頼らない健康管理とあくまでも食べ物やサプリメントを中心とした自己管理がこれからの医療にとってめざすべきことではないでしょうか。いわゆる食―医同源という新しい理念への展開を提唱したく考えております。
東京脳神経センター(病理/内科)
遠藤 雄三(えんどう ゆうぞう)氏
昭和44年(1969年)東京大学医学部卒。虎の門病院にて免疫検査部創設・部長、病理/細菌検査部長を務める。その後カナダ マクマスター大学健康科学部病理・分子医学部門客員教授、浜松医科大学第一病理非常勤講師、宮崎県都城市医療法人八日会病理顧問・看護学校顧問を経て、現在、東京脳神経センター(病理/内科)。免疫学・病理学・分子医学の立場からがん・炎症の研究を進め、発表した論文は110報以上。
<主な研究課題> 生活習慣病予防にかかわる食物、サプリメント、生活習慣病と公衆衛生、IgA腎症と粘膜免疫とのかかわり、頭痛と首コリの解消、人体病理学、臨床免疫学、実験病理学
・掲載4 「ホモ バネ仕掛け」の頚と「新型うつ」
・掲載3 首の構造と頭痛=頭皮痛のおこりかた
・掲載2 体験/炎症とは
・掲載1 はじめに
・掲載6 感染症予防には手洗い、うがい、そして免疫をケアしよう
・掲載5 細菌感染と抗生物質:抗ウィルス薬は細菌には効かない
・掲載4 ウィルス感染症の治療と予防:抗ウィルス薬、血清療法、免疫
・掲載3 風邪、天然痘とSARS、MERSそして変異型コロナウィルス
・掲載1 ウィルス感染と免疫システム
・掲載22 自己とは?非自己とは?(22)過敏性腸症候群/食物アレルギー
・掲載21 自己とは?非自己とは?(21) 大腸と腸内細菌
・掲載20 自己とは?非自己とは?(20) Bリンパ球/IgA
・掲載19 自己とは?非自己とは?(19) パイエル板
・掲載18 自己とは?非自己とは?(18) 消化管の蠕動(ぜんどう)運動
・掲載17 自己とは?非自己とは?(17)粘膜免疫
・掲載16 自己とは?非自己とは?(16)腸管免疫
・掲載15 自己とは?非自己とは?(15)免疫と消化管
・掲載14 自己とは?非自己とは?(14)ウィルスと自己
・掲載13 自己とは?非自己とは?(13)妊娠とABO式血液型不適合
・掲載12 自己とは?非自己とは?(12)移植
・掲載11 自己とは?非自己とは?(11)輸血と免疫
・掲載10 自己とは?非自己とは?(10)Ⅲ型アレルギー/自己免疫疾患
・掲載9 自己とは?非自己とは?(9)Ⅱ型アレルギー/血液型
・掲載8 自己とは?非自己とは?(8)抗生物質の発見/一型アレルギー/免疫グロブリン
・掲載5 自己とは?非自己とは?(5)急性炎症:日焼けと免疫反応
・掲載4 自己とは?非自己とは?(4)炎症
・掲載3 自己とは?非自己とは?(3)アレルギー
・掲載2 自己とは?非自己とは?(2)自己の確立②
・掲載1 自己とは?非自己とは?(1)自己の確立①
・掲載6 からだの防御システム(6)特異的免疫細胞たち:リンパ球
・掲載4 からだの防御システム(4)免疫ホメオスタシス/感染症と炎症
・掲載3 からだの防御システム(3)「食-医同源」
・掲載2 からだの防御システム(2)新型インフルエンザウィルス
・掲載1 からだの防御システム(1)はじめに:「病気」、「病態」そして「病 名」
・掲載21 頭頚部がん(2)
・掲載20 頭頚部がん(1)
・掲載19 多発性骨髄腫(3)
・掲載18 多発性骨髄腫(2)
・掲載17 多発性骨髄腫(1)
・掲載16 おとなの進行がんの治療戦略(2)
・掲載15 おとなの進行がんの治療戦略(1)
・掲載14 子宮がん(2)子宮内膜がん
・掲載13 子宮がん(1)
・掲載12 肝細胞がんに対する予防戦略 3)ウイルス排除と抗炎症対策
・掲載11 肝細胞がんに対する予防戦略 2)肝硬変と慢性炎症
・掲載10 肝細胞がんに対する予防戦略 1)肝細胞がんのおこり方
・掲載9 前立腺がんに対する戦略
・掲載8 乳がんに対する戦略
・掲載7 肺がんの予防戦略
・掲載6 環境要因による胃がん予防
・掲載5 大腸がんに対する防衛戦略
・掲載4 生活習慣病としてのおとなのがん
・掲載3 抗生物質から抗がん剤開発へ
・掲載2 現代医学と病理学
・掲載1 はじめに