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病理専門医からみた健康戦略シリーズ[2]

掲載6

自己とは?非自己とは?(6)

ここまで読まれた方ならば、免疫システムに弱点などあるはずがないとおもわれるかもしれません。弱点を攻めてくるいやな奴たちがいるのです。外からのいやな奴たち(非自己)と内なるいやな奴たち(自己)です。

人類史の業病

まず、外からのいやな奴たちの話から始めましょう。人類の歴史の中でごうびょう(業病)といわれていた細菌感染症といえば、賢明なる皆さんにはすでにおわかりでしょう。そうです、結核、梅毒、ハンセン氏病(旧名ライ病-この漢字はすでに消滅したようです)です。

現代人からしますと、これらの感染症がどうして大変悲惨な名前を付けられて、人々から忌み嫌われたか想像もつかないことでしょう。現代人にとって怖がられている感染症としてはまずエイズがあげられるのですが、忌み嫌われているというニュアンスとは大変異なるとおもいます。

ハンセン氏病

西欧的に人類史というと、一般的にキリスト誕生以降の二千年といわれます。キリスト自身やその教団とハンセン氏病者への看護や保護活動とのかかわりは余りにも有名です。かくいう筆者は小学校から12年間クリスチャンの学校に通学していました。

毎朝礼拝があり、30分間の厳粛な説教がありました。ハンセン氏病についてはたびたび話題になりましたので、身近な病気でした。と同時に正直申し上げますと、なりたくない病気の一つでした。事の真相は定かではありませんが、初発症状はマツゲが抜けることだということで、そのことを大変気にした小学生時代でした。

日本では長らく隔離政策が実施され、悲惨な歴史が繰り返されました。小泉首相の時代になって始めて開放されるようになりました。この法律実施に奔走されたのは、今は亡きわが同級生、参議院議員であった今井澄氏です。

医学史の参考書によると、十二世紀に欧州でハンセン氏病の大流行があったといわれています。ノルウェーのハンゼンがライ菌(レプラ菌)を発見し、これがライ病の病原体であることが決まったのは1880年でした。ライ菌は人工的に培養することが大変むずかしく、さまざまな試行錯誤の結果アルマジロに感染させることが出来ることがわかりました。

梅毒

梅毒はコロンブスがアメリカ大陸、あるいはハイチ島からヨーロッパに持ち帰った病気とされていますから、15世紀の終わり頃です。1494年、フランスのシャルル八世が大軍を率いてイタリアに入り、ナポリを包囲した頃にこの病気とおもわれる大流行が起きたので、その後ナポリ病またはフランス病と呼ばれました。

欧米では梅毒はsyphilis(シフィリス)あるいはlues(ルーエス)と呼ばれています。前者はギリシャ語源で、16世紀の有名な詩の中に出てくる羊飼いの名前Syphilusで、この病気で悩んでいました。後者はラテン語です。

残念ながら、日本語名がどうしてこうなったか、著者としてもわかりません。「梅毒」のほかに「バイ毒」とあり、「バイ」とは「微」という漢字の中央部にある山の下に「黒」という字が使われて「バイ」と読んだのでしょう。この当て字として「バイ=梅」となったのかもしれません。

明治時代、東京帝国大学の皮膚科教授であった土肥慶蔵(1866-1932)が梅毒の世界的な感染ルートを詳しく調べています。欧州に広まった梅毒は、ヴァスコ・ダ・ガマの東航以降にインドに伝播しました。

さらに中国では最初の流行地が広東で、中国全土に広まったことが文献上で証明されているようです。日本では、当初「唐ソウ(ヤマイダレに倉という漢字)」あるいは「琉球ソウ」と呼ばれ、16世紀のはじめには関西に及んでいます。

約一年後に関東地方にも広がったことが、皮膚の症状の記載から確認されています。ポルトガル人の来航以前に梅毒が日本に到達しており、その広がりに関わったのはシナ人か倭寇の日本であろうと土肥教授は言及しています。

江戸時代を通じてこの病気がいかに多くの日本人を苦しめたかは当時の医者の書き記したものから読み取れます。その代表的な医者に、解体新書を訳出したかの杉田玄白がいます。

毎年千人近い患者を診て、四、五十年も経験してすこしも治すことは出来なかったと心から述懐しています。昨今のテレビ番組でヒットした「仁」がいかに荒唐無稽であったかということは、このことからも推察されましょう。

1910年にドイツの病理学者で免疫学のゴッドファーザーであるパウル・エーリッヒは特効薬のサルバルサンを発見しています。砒素を含む化学合成品の606番目の試作品を動物実験したのが日本から留学していた秦佐八郎博士でした。

後にフレミングによって発見された抗生物質のペニシリンがいかに革命的な特効薬であったかは、機会がありましたら改めてお話しましょう。梅毒の研究に大きな足跡を残した研究者に、千円札の顔の野口英世先生がおります。

結核症

もう一つの結核についても、医学史的に少し触れておきます。戦前には「佳人薄命」ということばがありました。素的なヒトほど、悔やまれて若死にしてしまうというニュアンスです。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公の一人、正岡子規は肺結核から脊椎カリエスとなり、寝たきりになってしまいました。NHKの大河ドラマでもご存知の方が多いのでないでしょうか。

この病気が結核だったのです。現代では「国立結核療養所」ということばは死語になってしまいましたが、日本全国の保養地に点在していました。療養所設立とは、結核患者を隔離するという意味と空気のきれいな地域へ転地療養するという意味がありました。

トーマス・マンの「魔の山」もスイスの保養地ダボスでの物語です。私事ですが、病理医としてコンサルタントを務めています聖隷三方原病院の端緒は結核を患って村八分になっていた患者を救おうという学生グループの無償のはたらきだったそうです。

現代人の皆さんにも、ツベルクリン反応とかBCGとかのことばで結核は身近に感じるものがあるはずです。「でもどうして、結核に対してワクチンがないの」と思われるかも知れません。これは大変重要な自問ですので、後でお答えします。

結核菌研究について語るときに、ロベルト・コッホというドイツ人医師の名前は忘れることは出来ません。コッホは細菌学のゴッドファーザーともいうべき人で、細菌感染の病理学を打ち立てたと言っても過言ではありません。

そして結核患者のために治療法を懸命に探し求めました。ツベルクリンも当初治療法として開発されました。しかし、残念ながらそのような効果はなかったのです。20世紀の第二次世界大戦を契機に、フレミングの発見したペニシリンが世界に普及するようになって、病気の世界は革命的に一変しました。

細胞内寄生菌

これらの細菌に共通する特徴があります。それが免疫システムの弱点でもあるのです。その「タネ明かし」は「細胞の中」なのです。免疫システムのちからは細胞内部にまでは及ばないのです。

細胞外部であれば、抗体のうちの完全抗体分子(*)は特異的にさまざまな異物と反応し、補体という分子群の助けを借りてマクロファージの取り込みを促します(オプソニン作用=お掃除)。細菌が細胞内に入ってしまうと抗体分子は細胞内に入れないので、働くことができません。

そこでその細胞がSOSのような信号を発信しないかぎり、逃げ込まれた細菌を排除できません。信号を発信した場合、リンパ球とマクロファージたちがその細胞に攻撃をしかけ、失敗すると壊された細胞膜から放出されるアラキドン酸によって炎症反応のナダレ現象を繰り返すことになります。つまり、長引くゲリラ戦ということは慢性炎症ということになります。

これらの細菌たちは細胞の中に入り込んでしまい、増えることができます。そして驚くべきことに、マクロファージの中に入りこむと人間のほぼ一生の間あちこちの細胞内で住みつくことが出来るのです。このようなことがわかってきましたのも、つい最近の最先端技術を用いた分析の結果です。これらの細菌の細菌学的な共通点は、試験管レベルでの培養が大変困難なことです。

ということは、弱々しい細菌ということもいえましょう。たとえば、結核菌を培養するにはきわめて特殊な培地を使います。そして、生えてきて細菌を確認するまでに2ヶ月以上待たなければなりません。
通常の細菌は数日の培養で細菌を同定したり、抗生物質の感受性を確認することが出来ます。

結核菌感染症は日本では激減したとはいえ、現代でも地球規模では大変危険な細菌感染のひとつです。できるだけ速く確定診断できれば、抗生物質による完治が望めるのです。米国の中央防疫センター(CDC)は、一ヶ月以内の確定診断と抗生物質感受性の報告ができる体制を勧告しています。それでも、臨床的には遅いのです。

特異性(肉芽腫性)炎症

結核菌は飛沫感染ということで空気を介して感染し、まず肺の中に入り込んで免疫細胞と戦うことになります。梅毒菌は性交感染であり、粘膜での接触進入という感染ルートです。ライ菌は皮膚での接触進入から、多くの場合末梢神経を感染ルートとなります。

いずれもかなり確立の低い感染率が推測されますが、頻繁な接触でおこることになるはずです。体内に入ってしまうと、急性炎症のときに出現する好中球とは異なるマクロファージならびにリンパ球が主役の炎症反応で対抗しようとします。

ゆっくりとした免疫反応がおこって、特殊な慢性炎症をひきおこすことになります。これらの免疫細胞たちの働きによって細菌感染部位がとじこめられて、ヒモの結び目のようなツブツブ状の肉芽腫(ニクゲシュ)になります。

このことから結核(結びのツブツブ)という言葉がイメージできるでしょう。このように慢性の経過をたどる「ツブツブ炎症」のことを特異性炎あるいは肉芽腫性炎といいます。

つまり「特異性」ということですから、ツブツブを見たらこれらの病気と「1:1」の関係にあるということにほかなりません。「特異性」ということばは、現代科学において大変重要なことばです。「特殊性」ということばとは全く異なりますので、誤解のないようにしてください。
少し長くなりましたので、次回につづきます。ご期待下さい。

(*):抗体には完全抗体と不完全抗体とあります。前述したとおり抗体とは免疫グロブリンという糖タンパクです。特異的に抗原と結合できるようにDNAレベルで決められており、ほぼ無限の種類の多様性があります。マクロファージが取り込んで抗原を分解出来る抗体は完全抗体といいます。不完全抗体とは、抗原を分解出来ない抗体のことです。

プロフィール
遠藤 雄三(えんどう ゆうぞう)氏

浜松医科大学(第一病理)

遠藤 雄三(えんどう ゆうぞう)

昭和44年(1969年)東京大学医学部卒。虎の門病院免疫部長、病理、細菌検査部長兼任後退職。カナダ・マクマスター大学健康科学部病理・分子医学部門客員教授となる。現在、浜松医科大学第一病理非常勤講師、宮崎県都城市医療法人八日会病理顧問、看護学校顧問。免疫学・病理学・分子医学の立場からがん・炎症の研究を進め、現在に至る。

<主な研究課題> 生活習慣病予防にかかわる食物、サプリメント、生活習慣病と公衆衛生、IgA腎症と粘膜免疫とのかかわり、人体病理学、臨床免疫学、実験病理学

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