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病理専門医からみた健康戦略シリーズ[2]

掲載2

自己とは?非自己とは?(2)

移植医療の難しさ

「がん免疫療法」の説明が最終目標であることを、あらかじめに予告しておきます。さて、はじめに私の個人的体験からはじめましょう。

筆者が1975年から1977年までスイス国費留学生としてヨーロッパに滞在した折のことです。スイスのバーゼルという商業都市の中にある大きな病理学研究所で医学研究に忙しくしておりました。その合間をぬって、私にはひとつの楽しみがありました。

それは各地に点在する寺院や博物館巡りでした。これは自分の趣味でもある歴史社会学探求としてルネッサンス文化に直接触れたいという欲求のあらわれでした。キリスト教を基盤としたこれらの造形は日本の仏教美術とは著しく異なるものです。

ルネッサンス期のものは出来る限り写実的に肉体を表現し、また人間の生き様をすさまじいまでに生々しく描写しています。ルネッサンス期のみならずヨーロッパの歴史を通じてその代表的なものが「キリストの磔刑」の描写であることは、皆さんもご存知であろうとおもいます。

そうした旅行中に遭遇したある寺院での体験は今でも実に生々しく思い出されます。それは豪奢な長いすにリラックスして横たわっている高貴な白人貴族の古ぼけた肖像画でした。

その前をいったん通りすごしてから、振り向いてその貴族の右足に釘付けになってしまいました。なんと、右膝から下が黒人の足だったのです。とっさにこれは移植手術の絵だと直感しました。そして、このようなことを絵にして残しているというヨーロッパ人の魂にもびっくりしたわけです。この十字軍兵士だったかもしれない貴族のその後がおもいやられたわけです。

今にしておもえば、ナント無謀なことを。移植手術後にリラックスできるはずはないので、今にして思い出せば、あの肖像画はパロデイか?しかしあれは立派な寺院内部ではなかったかと。

ルネッサンス期のイタリアを中心に大学に医学部が創られるようになり、人体の構造の肉眼的な解剖学的分析が発達していきます。また病気の死因究明の病理解剖も盛んに行われるようになっていきます。

しかし、免疫学のスタートはずっと遅れて19世紀になってからのことです。それまでに、臓器移植や輸血の実際においてたくさんの失敗がくり返されたはずです。

結局、自己と非自己の認識がないまま「失敗の山」が築かれていったにちがいありません。現象あっての推論仮説です。「失敗は成功の元」が現在の移植医療状況です。

19世紀のドイツ医学

現代医学の基礎は病理形態学を中心に築かれていきました。私の「がん戦略シリーズ」でも触れたルドルフ ウィルヒョウ先生は現代医学のゴッドファーザーともいうべき人です。彼と肩を並べたエールリッヒやベーリング、メチニコフは形態学を基盤に「血液細胞の機能学」から発展させて現代免疫学の基礎を築きました。

一方、人類の最も手ごわかった敵のさまざまな病原細菌研究分野では、コッホを中心に野口英世はじめ、そうそうたる日本人研究者も続くことは申すまでもありません。口蹄疫やワクチン研究の基礎を築いたパスツールも多くの医学分野に革命を起こした偉人です。

抗生物質のなかった当時の細菌学研究者たちにとって研究は文字通りからだを張ったものだったことを、是非イメージしていただきたいところです。「野口英世の伝説化」も、まさにこの事実によるからです。

しかしかれらには、他人のからだのほんの一部といえども移植すると必ず失敗するしくみが理解できませんでした。当たり前のような現象である自分のからだの一部を自分の他の場所に移植することがなぜ可能なのかが、不思議なことでもありました。

これらの矛盾を理解するのに、前述のエールリッヒは「自分をダメにするようなことは自分のからだはしない」(horror autotoxicus)という教義、原理を編み出したのです。

一方、細菌や特定のウィルスなどに感染した場合、治ってしまうと二度目の同じ細菌あるいはウィルスには感染しにくくなるのはなぜだろうかという疑問もあったわけです。ジェンナーの考案した種痘ワクチンの普及は「疫病を免ぜられる」免疫学の発展に大変な威力がありました。しかしこれらの疑問点を解決するには時間が必要でした。

現代免疫学の基礎

移植と感染症を「自己対非自己」(非自己の侵入に対する自己の反応)という共通点で理解しようとしたことが、免疫学の大いなる突破口つまり「ブレークスルー」になったのです。それは大分遅れて第二次世界大戦後から1960年代にかけてのことです。

オーストラリアのバーネット先生やヨーロッパのイェルネ先生を中心に「自己と非自己」の認識システムの解明となって展開します。お二人ともその後、「クローン選択説」という仮説の提唱と実験的検証によってノーベル賞受賞ということになります。

かれらの考え方を、「言語の理解」の例えで説明しましょう。ひとつの例えは当たり前のようなもので、「日本語を知っている人々なら、どのようにたくさんの人であふれかえっている中でも日本語を話している人々を簡単に識別できる。」これは自己認識を意味します。後述(註1)

もう一つの例えは少し無理がありますが、「日本語以外のすべての言葉を知っている人々がいたとして、日本語以外の言葉で話している雑踏の中で日本語を話している人々を識別することができる。」これは非自己認識ということを意味します。後述(註2)「自己と非自己」の認識が現代免疫学の出発点になったと言っても過言ではありません。

わたしが医学部学生の頃は、丁度1960年代です。今からおもうと信じられないことのようですが、その頃の講義には「免疫学」という名称はなく、「理論血清学」だったのです。つまり血清の中の「抗体について研究し、それを臨床医学に応用しようという学問ならびに講座」だったのです。

現在から見ると、これは液性免疫学ともいうべき免疫学の一分野にすぎません。その後の発展のめざましさが、多少イメージしていただけるでしょうか。そしてさらに、免疫学は「生体防御学」の中の一分野になりつつあるのが今日です。

自己の確立とは

「自己と非自己」の理解には、前の章で触れました「妊娠中の胎児と母体の関係」を洞察することはきわめて重要です。結局、半自己同士の胎児が母体から「オギャ-」と生まれて赤ちゃんとなると「胸腺」の「オトナ化」が起こるわけです。分娩直前には胸腺は成熟しきって大きくなり、赤ちゃんの肝臓と同じくらいあります。生まれた直後に胸腺は1/3から1/4ほどに一挙に小さくなってしまいます。

これは胸腺の内部で、Tリンパ球のいわば「縄張り争い」が起こるのです。胸腺はもともと魚のエラと同じようなモトから起こる器官で、口などにある上皮細胞組織を含んでいるリンパ装置です。

免疫系のしくみによって成熟の最終段階には「自己に反応するTリンパ球」が消滅して、「非自己に反応するTリンパ球」だけが残って一生その人の免疫系を維持していくことになります。

つまり前述の例えでいうと、註1の人がいなくなるということで、註2の人だけ残るということです。これは、「日本語以外のすべての言語を理解できること」とは自己以外の非自己すべての異物を認識できる免疫系が確立したことにほかなりません。つまり、「免疫系の自己の確立」とは「非自己認識の確立」なのです。これが現代免疫学の基盤といってよいと考えます。

そして、自己と非自己は物質的には紙一重のちがいです。しかし、この紙一重のちがいこそ「非自己化がん細胞」が免疫システムの攻撃対象となりうることになりましょう。少し長くなりましたので、次回につづきといたします。

プロフィール
遠藤 雄三(えんどう ゆうぞう)氏

浜松医科大学(第一病理)

遠藤 雄三(えんどう ゆうぞう)

昭和44年(1969年)東京大学医学部卒。虎の門病院免疫部長、病理、細菌検査部長兼任後退職。カナダ・マクマスター大学健康科学部病理・分子医学部門客員教授となる。現在、浜松医科大学第一病理非常勤講師、宮崎県都城市医療法人八日会病理顧問、看護学校顧問。免疫学・病理学・分子医学の立場からがん・炎症の研究を進め、現在に至る。

<主な研究課題> 生活習慣病予防にかかわる食物、サプリメント、生活習慣病と公衆衛生、IgA腎症と粘膜免疫とのかかわり、人体病理学、臨床免疫学、実験病理学

バックナンバー

病理専門医からみた健康戦略シリーズ[2]

・掲載22 自己とは?非自己とは?(22) 粘膜免疫系リンパ装置と病気⑥

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・掲載19 自己とは?非自己とは?(19) 粘膜免疫系リンパ装置と病気③

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・掲載16 自己とは?非自己とは?(16)

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病理専門医からみた健康戦略シリーズ[1]

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