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ドクターから健康アドバイス

病理医からみた一人ひとりのがん戦略

掲載2

現代医学と病理学

現代医療は空気のような当たり前の存在に

みなさんは、かぜをひいたり虫垂炎(俗に盲腸)にかかっても死を覚悟することはないでしょう。抗生物質や手術で当たり前のように治っています。まして妊娠して分娩するときに死を覚悟することは大げさすぎます。病院や助産師さんによって五体満足のこどもが生まれて幸福感に包まれるはずです。現代医療はまさに空気のような存在になっています。

今からたった50年ほど前、たとえば第二次世界大戦前後の医療事情はどうだったのでしょう。抗生物質は普及しておらず、麻酔技術や滅菌、消毒はじゅうぶん発達していませんでした。当時の人々は結核をはじめ細菌感染による死と常に背中あわせだったのです。

分娩も例外ではありませんでした(産褥熱)。当時の病気に対する恐怖感は今から思うと想像もできないくらい大きかったと想像されます。当時の日本人男女の平均寿命は50歳前後だったわけですから、たった50年後に80歳前後になるなんてだれが想像したでしょうか。

種痘法や抗生物質発見以前ではいつの時代も多くの子供たちが成人に達することなく亡くなりました。成人式の意味はここにあったのです。

ところで京都の祇園の発展が八坂の神様ときっても切れない関係にあります。
八坂神社は疫病の死者を供養するために牛頭天王(ごずてんのう)をまつってあります。牛頭天王は薬師如来の生まれかわりといわれ、死者を癒してくれたのでしょう。いたましく悲惨な疫病の犠牲者に対する供養が祇園祭のような形でつたえられ、大きな祭りとしてにぎわうことは大いなる供養といえましょう。

19世紀なかば、近代医学が産声

それでは空気のような存在になった現代医学、医療に通ずる近代医学はどのようにおこったのでしょうか。近代医学は19世紀なかばのヨーロッパでようやく産声をあげました。”まじない医者”程度が医療をおこなっていた頃、ドイツのベルリンやフランスのパリを中心に実証的な医学が始まろうとしていました。

今から思うと恐ろしいくらい感染に対して無防備な設備のなかで、亡くなられた患者を解剖して病気のなりたちや死因を理解しようとする医学の動きといえます。パリの医師たちは病室のベッドサイドと解剖室でわかった点を目で見える(肉眼)レベルでつき合わせ、一例一例をこまかく記録していきました。

一方、ベルリンでは光学顕微鏡(以下顕微鏡)を新たな武器として病理解剖に導入して、病気を細胞レベルで理解しようという動きでした。顕微鏡による観察をするために、病室と解剖室の間に研究室という場を必要としました。ベルリンのような行きかたはまさに現代医学(laboratory medicine)のいしづえとなりました。いずれの場合も、学問に殉じた多くの医師や研究者がいたことを忘れるわけにはいきません。

タバコのタール、動物実験で皮膚がんに

19世紀後半のドイツ医学のパワーは大変なものでした。この機運を強力におしすすめた指導者のひとりにウィルヒョウ先生がいます。”細胞は細胞から生まれる”という考え方を科学として定着させ、「細胞病理学」を提唱しました。彼は政治的にも学問的にも革新的でありつづけました。今日理解されているがんや炎症の考え方は彼らの研究成果によって確立されたといっても過言ではありません。

ウィルヒョウ先生は病気を刺激に対する身体の反応として理解しようとしました。この説に従って研究した日本人の学者に山極勝三郎先生がいます。先生は市川助手とともにウサギの耳にコールタールで刺激しつづけました。数年の努力がみのって実験皮膚がんを世界に先駆けてつくり、高い評価を得ました。コールタールは刺激剤だけでなく、無数の発癌物質を含んでいることがわかってきました。これらの成分はタバコのタール成分と同じで、その後米国の学者がタバコのタールでもウサギの耳におなじような実験皮膚がんをつくりました。

顕微鏡を駆使し、抗生物質の発見へ

一方、病気の主な原因が細菌であった当時、ロベルトコッホの努力が細菌学を発展させました。その後しばらく、感染症研究が医学の中心的な学問分野となりました。当時、ドイツ医学に世界の俊秀が集まり、米国の研究者もその例外ではありませんでした。日本からも北里柴三郎、志賀潔など有能な学者がドイツに留学し、細菌学研究に貢献しました。

前に述べましたように病理学の特徴は顕微鏡を駆使したことにあります。つまりこれは目で見えないものを千倍に拡大して病気のかたちや細菌をみようとする革新的な運動だったのです。
ここから細菌学をはじめとしてほとんど全ての学問分野が芽ばえ、科学としての現代医学に発展していきます。

1918年に第一次世界大戦がドイツの敗北に終わりました。世界経済の中心が米英に移るとともに医学の中心は米国に移っていき、現在にいたっています。そして細菌感染症の革命的な治療手段である抗生物質の発見につながります。

熟練した病理医の判断が患者の命運を左右

この150年間に蓄積された顕微鏡による情報は、現代医学や医療を樹木としますと根であり幹でもある病気の最終診断に不可欠のものです。そして病気の治療法はさまざまな枝葉(えだは)となるのです。

たとえばがんの診断は大学病院や市中病院で熟練した病理医によっておこなわれています(*)。外科の先生が手術で胃がんや大腸がんを切り取ることで治療にあたります。あるいは内科医が針のように細い器械で肝臓や腎臓の一部をとってきます。それらは顕微鏡で見えるように処理されます。熟練した病理医の判断が患者の命運を左右します。

病理検査には、手術中の緊急病理検査(術中迅速診断)というものがあります。これは外科医が手術中に患者のからだのごく一部を手術中に病理検査として依頼し、顕微鏡検査をするものです。たとえば胃がんの手術で胃を全部取るべきか、半分残せるかという場合にがんの広がりを顕微鏡で確認する必要があります。

この場合、病理医は手術の参謀本部役です。読者の中に手術された方がおられましたら、麻酔にかかっておやすみ中に外科医以上にきびきび働いている病理医チームのいることをお忘れないように。病理医チームは「縁の下の力持ち」であり、医療全体はチームワークでなりたっています。

近代医学の攻撃の矢おもてだった”まじない医療”の幾つかが今日見なおされている

病理医のもうひとつ重要なしごとに病理解剖があります。病院で不幸にもなくなられた患者さんについて死因の究明、病気の実態、治療効果などを受け持ち医とは別の立場で検証することです。病理解剖は現在の医療事情ですと、不採算業務となります。しかしこれは現代医療を客観的に評価する最低条件であると考えます。つまり不採算でも、医療レベルの点検と向上のために病院の理念やモラルが問われているわけです。

この章の終わりに申しあげておきたいことは、近代医学の攻撃の矢おもてだった”まじない医療”の幾つかが今日見なおされているということです。感染症が抗生物質で克服されつつある中で残ってきた病気、たとえばがんや慢性の病気は急激にはなおりません。これらは生活習慣病といわれています。生活スタイルをかえたり、食事の内容を改善したり、自然治癒力を実感したりというようなことも重要な治療法であるということが認識されつつあります。

現代医療だけではなく、それと補完代替医療の統合した医療そして患者中心の一人ひとり個性のある治療が叫ばれています。私はみなさんに患者自身が治療の主役であるという発想に転換することを訴えたいのです。

(*)今日の医療は証拠に基づく医療(evidence-based medicine)といわれています。したがって、患者の診断、治療は証拠に基づくはずです。患者は証拠であるカルテを公文書として受け取る権利があります。医療側は情報開示の義務があります。病理検査報告書は患者本人の個人情報の公文書です。したがって病理検査報告書はがん保険の申請だけでなくセカンドオピニオンを求める際の最も重要な公文書なわけです。

プロフィール
遠藤 雄三(えんどう ゆうぞう)氏

浜松医科大学(第一病理)

遠藤 雄三(えんどう ゆうぞう)

昭和44年(1969年)東京大学医学部卒。虎の門病院免疫部長、病理、細菌検査部長兼任後退職。カナダ・マクマスター大学健康科学部病理・分子医学部門客員教授となる。現在、浜松医科大学第一病理非常勤講師、宮崎県都城市医療法人八日会病理顧問、看護学校顧問。免疫学・病理学・分子医学の立場からがん・炎症の研究を進め、現在に至る。

<主な研究課題> 生活習慣病予防にかかわる食物、サプリメント、生活習慣病と公衆衛生、IgA腎症と粘膜免疫とのかかわり、人体病理学、臨床免疫学、実験病理学

バックナンバー

病理専門医からみた健康戦略シリーズ[2]

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病理専門医からみた健康戦略シリーズ[1]

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病理医からみた一人ひとりのがん戦略

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・掲載12 肝細胞がんに対する予防戦略 3)ウイルス排除と抗炎症対策

・掲載11 肝細胞がんに対する予防戦略 2)肝硬変と慢性炎症

・掲載10 肝細胞がんに対する予防戦略 1)肝細胞がんのおこり方

・掲載9 前立腺がんに対する戦略

・掲載8 乳がんに対する戦略

・掲載7 肺がんの予防戦略

・掲載6 環境要因による胃がん予防

・掲載5 大腸がんに対する防衛戦略

・掲載4 生活習慣病としてのおとなのがん

・掲載3 抗生物質から抗がん剤開発へ

・掲載2 現代医学と病理学

・掲載1 はじめに

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